2025年01月16日

“新本格”「十角館の殺人/綾辻行人」

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
 
書いたくせに、またもや半年くらい経ってしまっていることに
またもや気づいたわけです。

 大学生もそろそろ終わりという頃、ワタクシがはまっていたのは
SFではなく、ミステリでした。

 そんな時に出会った一冊が、コレです。

 十角館の殺人/綾辻行人 

 世紀末の日本に“新本格”ブームを巻き起こすきっかけとなった一冊であり、
当時、重鎮作家が幅を利かせていた推理小説界隈に吹き込んだ、
最初の新風でもありました。

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 大学のSF研究会で僕の同期であるFS君は、その種の知り合いが多い気がする
僕の人生においても稀な、“書痴”という言葉が相応しい男である。

 彼が日々持ち歩いているショルダーバッグには、常時数冊の書籍が詰め込んであり、
振り回せばちょっとした武器になるのではないか、というほどの重さを誇っていた。

 僕らのいる大学のある盛岡市まで、ちょっと離れた町から通っていた彼だが、
週末になると、サークルの例会に出ては、誰かの部屋に行って酒を飲んだり、
時には麻雀したりする、要するに僕らのいつものメンバーの一人だったのである。

 そんなFS君が僕に色々と本を薦めてきたうちの一冊が「十角館の殺人」だった。

 “本格推理”と銘打っているミステリの中には、謎を提示した上で、
解決篇の前に“読者への挑戦”を仕掛けるものがいくつか存在する。

 とんだメタ展開だが、実は「十角館の殺人」もその種の作品で、
FS君は、自身で厳選したミステリ作品を僕にぶつけて推理させる、という
“読者への挑戦”もどきのことをやっていたように思うのだ。

 具体的な勝率は、あまり覚えていないのだが、僕はミステリをそれほど
読んでいないわりに、謎解きのほうのはけっこうできていたように思う。
 まあ、だからこそ、次から次へとおススメが現れたのかもしれない。

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 ところで昨年、本作品はHuluで映像化されたらしく、関東圏では
年末年始に地上波で初放送したようです。

 もちろん、こちらはとーほぐ地方なのでワタクシは見てはおりません。

んでわ。


2025年01月15日

「AY氏のはなし(2)」

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 昨年も書いたのですが、今日1月15日は、古くからの友人であった
AY氏の祥月命日です。

 もうあれから10年も経つ、というのはなかなか信じられないのですが、
10年前、ワタクシは東京で暮らしていて、朝、仕事に向かう途中で
訃報を知りました。

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 朝、東京テレポート駅から本社ビルに向かう道筋で、
陸橋の階段を上っている時にその電話はあった。

 電話はNTからで、かれこれ30年来の付き合いだが、
学生時代の友人にありがちなことに、大学卒業後、20年程度は
疎遠な感じであった。

 それがここ数年、僕がそれが東京に転勤になってから、けっこう頻繁に
飲みに行くようになっていた。

 電話口のNTは、何かいつもと違って、かしこまった感じだったが、
「AYのヤツ、死にやがった」と言った。

 文字にして書いてみると、何て言い草だ、という気もするが、
実際その時の僕らの心情はそんな感じだったと思う。

 「勝手に死んでるんじゃねーよ」というのが偽りのない
ところなのであった。
 
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 葬儀が翌日であるということがわかったので、出社したその足で、
同僚に会社を休む旨を伝え、その場で知る限りの方面に、
(主にSNS経由で)訃報を伝えた。

 そのまま東京から仙台に帰ると、自宅で葬式の準備等を手早く整え、
盛岡へ向かった。AY氏と同じ大学サークルの面々と会うためである。

 午前中に連絡できたため、HWセンパイや同期のFSなんかに会うことができた。
 HWセンパイに会うのは本当に久しぶりだったが、とてもショックを
受けていたように思う。

 これは余談だが、その後、AY氏の墓参りに行く途中で盛岡に寄った際に、
HWセンパイを墓参に誘ったところ「彼が死んだことを認めたくないから」
という理由で断られたことがある。

 AY氏は、人当たりの良いスタンスで広く交友関係を結んでいたので、
サークルの古い年代にも、若い年代にも顔が利いていた。
 僕はというと、あまり先輩達と交流がなかったので、SNSで連絡の取れない
方面については、もっぱらHWセンパイにお願いしていたのである。

 葬儀が午後からだったので、翌日午前中に高速バスで目的地まで向かう予定で、
その晩はそのまま旧友たちと飲み、盛岡駅近くのビジネスホテルに泊まった。

 翌日午前中、盛岡駅からは二時間半程度で大舘駅前に着いた。、
 NTほか、AY氏の友人たちと合流し、葬儀場に向かった。

 どうやら焼き場と葬儀場が一緒になっている式場らしかったが、
僕らは予定より早く着いてしまったようで、火葬前の対面もできるようだった。
 どうするか訊かれて、お断りした。

 死に方が死に方なので、けっこう変わり果てた有様である、と予測できたので、
以前の記憶のままにとどめておこうと思ったからである。

 しかしまあ、そのことが僕のグリーフに大きくかかわってくるとは、
その時には考えもしなかったのである。(来年の1月15日に続く?)

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 10年ひと昔と申しますが、加齢が進みますと、案外あっという間という気もします。
 その割には、当時の記憶がもはやけっこう曖昧な点もあり、
これまた加齢のせいかな、とも思います。

hitsugi_washiki

んでわ。


tsurutaya at 23:30|PermalinkComments(0)グリーフ 

2025年01月13日

今年初のわかちあいの会

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 先週、今年初めての、仙台グリーフケア研究会主催
わかちあいの会」のお手伝いをしてきました。

 事前の申し込みでは、参加者4,5名ほどかと思われ、
当日も前日からの大雪ということで、こじんまりと実施する、と
思われたのですが、蓋を開けたら8名もの参加者となりました。

 事前ミーティングで、参加者少な目、という見通しで、
その日、初ファシリテーターを拝命したワタクシには、
想定外の出来事の予兆であったと申せましょう。

 参加者が8目になった時点で、部屋を2つに分けたので、
当初の担当人数とほぼ同じになったのですが、場所とココロの
準備のゴタゴタはあまり気持ちのいいものではありません。

 そんなワタクシの心情はさておき、今回の参加者の方々は、
似た境遇でもあったため、比較的平穏に進めることができました。

 ただ、ワタクシ、初回ということもあり、進行のルールを
強く意識してしまい、参加者の方々の自由な発言を
損ねてしまったのではないか、と反省しております。

 また、若干の失敗をした一方、カウンセラーとしては理解していた
つもりの“沈黙”について、新たな知見も得られたように思っています。

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 カウンセリングにおいて“沈黙”とは、色々な意味があります。

 例えば「相手がどういうふうに表現しようか言葉を探している場合」や
「自己洞察を行っているのではないかと思われる場合」、
「こちらの言葉を検討している場合」、「発言を受けて気持ちを整理している場合」
などは、こちらが少々待つ必要があるケースといえます。

 逆に、「相手が極度に緊張している場合」や
「特に話すことも浮かばず、相手が少し居心地の悪さを感じている場合」
などは、こちらから何らかのアクションをする必要があります。

okuchi_chakku
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 とまあ、カウンセリングにおいてはそれなりに“沈黙”の対応を
できるつもりでいたのですが、これが複数人になると、
少々違った趣も出てきます。

 それは「周りの人間の出方をうかがう場合」の沈黙です。

 実際ワタクシ自身も覚えがあります。

 でもまあ、次回はその辺もちゃんとふまえて、
もうちょっとうまく進行できるよう、精進いたします。

んでわ。