2024年08月29日

まんが愛クロニクル 接触篇「幼年期のおわり」

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。


『その時代にワタクシを魅了した作品をこそ、
 語るべきなのではないか?
 時代を切り口に、ワタクシがどのような作品に
 出合ったかを語ろうじゃないか、という企画』です。

■1971年~1973年くらい

 以前にこのブログでも書きましたが、「火の鳥 未来編」という
不朽の名作との偶然の出会いは、その後のワタクシの(マンガ)人生を
決定したと言っていい出来事でした。



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 僕がまだ小学校低学年くらいの頃、母方の祖父母の家に遊びに行った際に、
おそらくは叔父や叔母の残していっただろうマンガが何冊もあって、
特に僕を魅了したのがこの一冊だった。

 ほとんどがマンガ雑誌だったが、これだけは雑誌の別冊という形態で、
まるまる全部「火の鳥」だったこともあるし、“SF”という概念に
未だ到達していなかった小学生を魅了するだけの“センスオブワンダー”があった。

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 以上、以前にお伝えした内容に追記もしてみましたが、ワタクシ、
ホントに「火の鳥」好きなんだなあ。
 もはやワタクシのマンガ原風景といってもいいですね。

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 青森県にあった母の実家は、今思い出しても驚くほど広い家で、
その裏にある畑も、冬に雪が積もると斜面で橇遊びが余裕で
できるくらいに広かったと記憶している。

 なので、なのか、雑誌の類もわりといつまでも物置に置いてあって、
夏休みと冬休みになると長期滞在する長女(ワタクシの母)の息子たちの
良いヒマつぶしになっていた。

 とはいえ、叔母が多かった(3人)ためか、少女マンガ誌が多く、
そういう意味では、少女マンガ読みとしての土台も、この頃に培ったといえる。

 中でも読み切りの多い「別冊マーガレット」をよく読んでいたのだが、
和田慎二の「銀色の髪の亜里沙」の前編を読んだら、後編の号がなくって、
コミックスで続きを読むのに何年もかかったのだった。
 そういえば柴田昌弘のデビュー作もこの頃の「別マ」で読んでたし、
男性作家がよく載る雑誌だったのかもしれない。他には知らないけど。

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 当時はワタクシたち一家も青森県に住んでいたので、母の実家は
行きやすかったのか、夏も冬もとにかく青森の祖父母の家にいた気がします。

 その後、仙台あたりに住むようになってからは、夏は父の実家、
冬は母の実家に行っていたような…気がします。知らんけど。

 マンガ関連の事は意外なほどけっこう覚えているが、それ以外の
記憶は、というとけっこう曖昧なのはなんでなのでしょうねえ。

 さておき、当時青森県八戸市の社宅に住んでいたのですが、
江戸川乱歩の回で書いたように、今とは 似ても似つかぬ謎の社交性を
発揮できる子どもでした。

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 平屋一戸建ての建屋が規則的に数件並ぶ形式の社宅は、
物心ついてからの、”いつもの”風景だった。

 当時の僕は、物おじしない、というよりは、だれかれかまわずに
話しかけるという、とてつもなくフレンドリーな性格で、
子ども嫌いの人にはちょっとした恐怖だったかもしれない。

 思えば近くのガソリンスタンドの兄ちゃんと仲良くなってオープンカーで
ドライブしたのもこの頃だし、相当懐に飛び込むタイプだったのだろう。

 一方で、下校時に知らないおじさんに「お父さんの友達なんだけど」と
車に乗るように誘われた時には、父の名前を言ってみろと返せる
こまっしゃくれたガキだった。

 切っ掛けは全く覚えていないのだが、小学二年生になるタイミングで、
隣の家のST君ちが引っ越してしまった。

 後に入居したのが、新婚ほやほやのご夫婦で、何をどうしたのか、
その家に遊びに行く習慣(?)ができていた。

 何を言っているのかわからないと思うが、まあ、僕にもわからない。

 おそらくは何かのタイミングで会話した拍子に、ご夫婦が毎週マンガ雑誌を
購入していることが露見したのだと思う。
 なぜなら、当時の僕は、そこにマンガを読みに通っていたのである。

 それが僕と「週刊少年ジャンプ」との出会いであった。

 当時のジャンプには、アニメ連動企画の永井豪「マジンガーZ」のほか、
小室孝太郎「アウターレック」や中本繁「ドリーム仮面」といった
僕の好きそうな作品が多かったし、他にも、池沢さとし「あらし!三匹」、
吉沢やすみ「ど根性ガエル」、とりいかずよし「トイレット博士」、といった
ギャグ作品もあり、「侍ジャイアンツ」「荒野の少年イサム」「アストロ球団」
「はだしのゲン」「包丁人味平」「プレイボール」なんて作品もこの頃である。
 掲載誌を問わず、人気作家を募ってオファーする“愛読者賞”の
チャレンジ作品も楽しみだった。

 「週刊少年マガジン」を抜いてマンガ雑誌発行部数で首位になる、
その直前の時期だが、勢いがわかる連載陣である。

 まあこれだけでもおなか一杯のエピソードだが、おまけがついていて、
実は奥さんの方も、「週刊マーガレット」を購入していたのである。

 こちらはまあ、一作しか覚えていないのだが、オンタイムで
「ベルサイユのばら」を読んでいた小学2年生であった、とだけ記しておこう。

 こうしてワタクシは集英社子飼いのマンガオタクになっていったのだが、
普段はまあ、社宅前にあった田んぼとか、ガソリンスタンド裏に積んである
でかいタイヤとか、門扉の壊れた埃っぽい廃工場とかで遊ぶ、フツーの
小学生であった。

 そういえば、廃工場には「週刊少年マガジン」が一冊、
捨て置かれていたので、「天才バカボン」なんかも読んだが、
子どもにはちょっと難しかった回だったように思う。

 あ、残念ながら、工場にはエロ本は落ちていなかったのであった。

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んでわ。


2024年08月28日

まんが愛クロニクル 承前

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 以前、
「三度の飯の次くらいにマンガ好きを自認するワタクシでは
 ありますが、意外と好きすぎても書けないものです」

 なんて書きましたが、むかーし、若気の至りでオールタイムベストを
決めたこともありました。

 でもまあ、そんなものはアップデートされるのが宿命なのです。

 なので気づきました。

『その時代にワタクシを魅了した作品をこそ、
 語るべきなのではないか?』と。

 まあ、すでにいくつか語ってるんですけどね。

 今回は時代を切り口に、ワタクシがどのような作品に出合ったかを
語ろうじゃないか、という企画になります。

 現時点での目論見だと、ざっくり以下のような年代記になります。

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幼年期のおわり:(1971年~1973年)

 以前紹介した、「火の鳥 未来編」を皮切りに、ワタクシが
まんがという媒体に如何にしてかかわることになったかの経緯を、
その数奇な出会いを書いちゃいます。

少年、コミックス購入はじめる:(1973年~1974年)

 なぜ少年は少ない小遣いを費やしてまで、まんがの単行本
を購入し、また手放したのか?

■立ち読みの頃:(1975年~1979年)

 毎日、長時間に及ぶ立ち読みは、すでに修行であった。
 そしてあの名作との出会いが語られる(はず)。

■私的ジャンプ黄金期:(1979年~1983年)

 公称300万部の時代に、確かに一緒にいた気がするのです。

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 と、まあ、前半戦こんな感じで、もうインデックスつくるだけで
遠い目になっちゃう案件ですが、お付き合いいただければ幸甚です。

manga

んでわ。


2024年08月26日

その後の仁義なきワタクシと日本酒(酒話陸)

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 さて、日本酒話、前回から大分経ってしまいました。

★前回のあらすじ:
 某国立大学寮で入学式前夜、新入生歓迎の宴が行われていたが、
実際には歓迎とは名ばかりの、新入りをつまみにした宴会であった。
 しかし新入生たちは、本当の“歓迎”がこれから始まることを
身をもって知ることになる。

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 大学寮の食堂での歓迎会をなんとか終えた僕らだったが、
部屋に戻ると、先輩たちは何やら部屋で支度をしていた。

 床に新聞紙を敷き詰めて、大量の飲み物(うちの部屋は
焼酎のカルピス割、って話だった。飲んでないから知らないが)を
準備している。

 なんでもこれから他の階の新入生を迎え撃つのだそうだ。
 そうなんですか、とぼんやりしていたら、じゃあがんばってね、
と、送り出された。

 当然だが、僕らも旅立たねばならぬのだった。
 僕らは一階の新入生なので、二階からスタートである。

 きけば、上の階で待ちかまえている先輩のいる各部屋を、
順番に訪ねてまわる企画だという。

 各部屋で新入生がとるべき作法は、まずでかい声で挨拶、
これは食堂でやったのと同じやつで、出身と名前を述べる。
 で、挨拶を返されて、お酒をごちそうになる、って次第だ。
 
 そこら辺は最初に訪問する、役員部屋(各階の最初にある)で、
シッカリ叩き込まれるのだが、まあそもそもこの企画自体、
役員会が管理しているので、当然といえば当然である。

 そしてこの企画、基本的には、早々に新入生が潰れて
自室に戻るまでがセットである。

 ほぼ未成年の新入生に酒を飲ませて潰す企画なんて、
犯罪といってもいいような気がするが、まあ昭和とはそんな時代であったのだ。

 潰れなきゃ終われない宴を、映画「死亡遊戯」(*1)よろしく、
順調に階を登っていった僕たちだったが、順調であること自体、
どうやら例年とは少々違っていたらしい。

 まず、優しい先輩が多くて、ノンアルコール部屋がけっこうあったのと、
各部屋でのんびりお話しするするケースが多々あった。
 そして、なんかアルコール耐性の高い新入生が多かったようなのだ。

 早々に新入生を寝かしつけて入学式に送り出したかった、
寮の役員会の目論見はくずれ、彼らは暴挙に出た。

 新入生を潰しにかかったのである。 

 僕自身は、明け方近い厚生部で、先輩への挨拶のあと、
通常は一杯ですむはずの日本酒一気飲みを、難癖つけられて
立て続けに三杯飲まさせられた。

 そしてそのあとに、どこかの部屋で派手にグラスを噛み砕いたのだった。

 速攻で洗面所に連れだされて、口をゆすいだ記憶があるが、
幸いにして傷一つなかった。(*2)
 が、そのあとは人事不肖に陥り、散々吐いたあと、部屋の先輩たちに
連れ戻される途中の階段でも、踊り場ごとに吐いていたらしい(伝聞)。

 僕の半世紀ほどの記憶の中でも、目を覚ましたら見知らぬ服だった、
という経験は今のところ他にない。

 TN先輩、その説には大変お世話になりました。

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 と、いうわけで、実は翌日(当日?)の入学式、ワタクシは出ていないのです。

 それどころか、入学式後のオリエンテーションにも出られず、
午後、学生課に学生証を取りに言ったら、職員さんに、
「寮生?」ってイヤな顔をされました。

 …きっと酒臭かったんだろうなぁ。
gakuseisyou_boy

 いやただのラムトニックですが。

んでわ。

*1:ブルースリー主演にして遺作。
 敵を倒しながら五重塔を登る、というRPGみたいな映画。
*2:その後、癖になって、二回ほど再演している。



tsurutaya at 23:30|PermalinkComments(0)