2024年05月15日

地獄に落ちろ人間ども!「デビルマン/永井豪」

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
 
 マンガのネタなら、文章がいくらでも書ける、
そう思った時代がワタクシにもありました。いや、ないか。

 三度の飯の次くらいにマンガ好きを自認するワタクシでは
ありますが、意外と好きすぎても書けないものです。

 半世紀ほどもマンガとつきあってきたために、人生のどこを
切っても、その時々のフェイバリットが存在するのでございます。

 そうなるともう、どこを切るかではなく、どう切るか、なのです。

 今回は、1970年代くらいのマンガで、自分が一番影響を
受けたのって誰だろう? と、自問自答した結果だったりします。



 デビルマン/永井豪

★ざっくりしょうかい1
 気弱な少年不動明は親友飛鳥了の頼みをきいて、
200万年の眠りから目覚めた悪魔(デーモン)と戦うために、
デーモンの勇者、アモンと合体し、悪魔の体に人間の心を持つ、
悪魔人間(デビルマン)になる。
 人間社会に潜むデーモンを捜しては。狩る、明と了だったが、
デーモンによる無差別合体攻撃が始まり、人類は隣人が悪魔なのでは
ないかという疑心暗鬼に陥り、中世の悪魔狩りの如き、悪魔特捜隊が
結成され、跋扈するようになった。人類社会は、段々に壊れつつあった。
 
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 永井豪のデビルマンを初めて読んだのは小学生のとき、多分、
どこかの病院の待合室にあったマンガ雑誌でだった。

 当時は、多分TVアニメのデビルマンをみていたのと、
週刊少年ジャンプに載っていたマジンガーZとか、永井作品に
親しみがあったので、読んでみたのだと思う。
 よりによって最終話だったので、何がなんだかわからなかったと
記憶している。

 その後、数年経ってようやく全編を通して読むことができたのだが、
アニメのデビルマンと違って、なかなかにハードな内容であり
まだまだ若かった僕には、かなり衝撃的だった(ように思う)。

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★ざっくりしょうかい2
 恩人である牧村夫妻が悪魔特捜隊に連れ去られたときいて、
特捜隊本部を襲い、夫妻の救出を試みるデビルマン不動明だったが、
時すでに遅し、拷問の末、無残な姿になった夫妻を発見することになる。
 本部で拷問を行っていたと思われる者たちが、デビルマンの襲撃に
逃げまどい、命乞いをする。
 そんな姿をみて、怒りをあらわにするデビルマン不動明。
 人間を守るために悪魔人間になった優しすぎる男は、
人間に失望し、人間こそが悪魔だと言い、叫ぶ。
 「地獄に落ちろ人間ども!」

 人間と悪魔の立場が入れ替わるだけではなく、様々な価値観の変遷を、
わずか単行本5冊の中できっちり描き切った本作は、まさに
天才永井豪の最大傑作であると断言できます。

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 どんなに多く見積もってもせいぜい1万冊弱しかない当家のマンガ
蔵書ですが、実は古めの漫画家だけで、スチール本棚1つ分があります。
 その大半を占めるのが、手塚治虫と石森章太郎、藤子不二雄、といった
トキワ荘関連のレジェンド、そして永井豪です。

 マンガの神様に萬画の王様にSF(スコシフシギ)の騎手、
そして遅れてやってきた毒のある天才。

 この四人からあえて永井豪を選んでしまうワタクシなのです。

んでわ。


2024年05月13日

「悲しみはひとそれぞれ」(わかちあいの会)

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 グリーフケアにかかわって再認識したことに、
「悲しみはひとそれぞれ」という、しごく当たり前のことがあります。

 そりゃそうだ、って思うかもしれませんが、
“物事の感じ方には個人差がある”という事実を、
本当に理解している人は、案外少ないのではないでしょうか。

 実際、普通はこうだ、とか、それが常識だ、とか、
考えてしまうことが、シンプルに悲しむことを
邪魔することがあります。

 90代の親御さんを亡くした方が、
まわりの人に「大往生だったね」と言われることに
つらさを感じていたり、

「もう〇年も経ったのに、未だに立ち直っていない」と、
自分自身を責める気持ちを持つ方もいます。

 でも「悲しみはひとそれぞれ」なのだから、
だれになんと言われようが、悲しんでいいと思いますし、
時間がかかる場合だってあっていいはずです。

 ひとの悲しみを、自分の物差しで決めつけずに、
お互いが認め合うことができる場としてあるのが
“わかちあいの会”なのではないかと思っています。

bunbougu_jougi
んでわ。


tsurutaya at 23:30|PermalinkComments(0)グリーフ 

2024年05月09日

「気持ちに応える」 ~“聴くチカラやま”登山四合目

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 さて、“聴くチカラやま”登山の日がやってまいりました。

三合目「正確に聴く」、と初級登攀ルートを登ってまいりましたが、
いよいよ初級クライマックス四合目「気持ちに応える」に到達です。

聴くチカラ山四合目
         「聴くチカラ山案内図」

 CC協会発行の“「聴くチカラ検定」テキスト教材”によると、
四合目相当7級のテーマは「感情への応答」です。
 案内図には“気持ちに応える”と並記してありますね。

 話し手さんのお話を「頷き・相槌」や「繰り返し」を使いながら、
要所要所で簡単にまとめる「一行要約」で返す、というこれまでの応答を、
総動員する、それが「感情への応答」であり、基礎編の総まとめになります。

 では具体的にはどんな応答が「感情への応答」であり、
“気持ちに応える”ことになるのでしょうか?
 っていうか、“気持ち”って何でしょうか?

 そう、“気持ちに応える”ためには、“気持ち”が何なのかを
理解することが、必要になるのです。

 人の言葉には“気持ち”以外にも“思考”だったり、
本人も気づかずに表現している“価値観”やなんかも含まれています。

 前回、前々回にも例で示したように、話のどこに焦点を当てるかで、
その後の話の方向性は変わってきます。

 “事柄”にばかり反応すると、話し手は延々説明を続けますが、
うまく“気持ち”に応答できると、話し手は気持ちが理解されたと
感じて、話も深まりやすくなります。

 では、ちょっと次の話に応答してみてください。

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ワタクシ
「今までは、ナポリタンつくるにも、細めのスパゲッティーニで
 アルデンテでつくっててねえ。
 まあ、そこそこうまかったとは思うんだけど、なんか違うんだよね。
 で、昨夜、思い切って、太めの麺を長めに茹でてさ、マーガリンで炒めて、
 仕上げに追いケチャップしてみたら、なんか洋食屋のナポリタンみたいになって、
 こういうのでイイんだよ、みたいな謎の満足感があったなあ。
 ようやく自分のレシピが完成したと思うんだよね。」


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 どこらへんに応答しましたか?
 
■応答の例:
1:「ようやくワタクシさんのレシピが完成したんですね」
  →ワタクシ:完成したと思うなあ。
   これまでとは比べ物にならないくらいにナポリタンだったんだよね。

2:「マーガリンですか」
  →ワタクシ:そう。新橋の某店ではマーガリン使ってたんだよね。
   あと、なんかテレビ番組で、老舗洋食屋のナポリタンは
  前日から麺を仕込むとかやっててさ。
  あー、ナポリタンってイタリアンじゃなかったわ!ってなったw

3:「なぞの満足感」
  →ワタクシ:そう、満足だった。
   あ、つまり今までのなんちゃってナポリタンでは不満だったのだな。

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 上記の例だと、1つ目では話し手の最後の言葉に応答していますが、
話し手の言葉をそのまま返さなかった(「完成したと思う」→「完成した」)結果、
話し手の意図とずれてしまい、ちょっと訂正されています。

 2つ目のものは、事柄に反応した結果、話が事柄に関連する説明へと流れています。

 3つ目の応答が、ワタクシの気持ちに応えたもので、その気持ちを
返された結果として、内省が進んだと思われる反応をしています。

 上記の例では、あえてシンプルな返しを例にしていますが、
より高度な技術として、“言い換え”を駆使して“意味”へ
応答することも可能です。

 以上、簡単な説明でしたが、初級のご案内はここまでとなっております。
 中級編は、準備のため、少々間をおいての登場となりますので、
首ではなく、気を長くして、お待ちください。

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 “聴くチカラやま”に登ってみたいアナタのための
勉強会情報はコチラからどうぞ。

 どのくらい登れそうかを試せる“聴くチカラ検定”については、コチラです。
 今年度のBASICクラス1期もやってます。

んでわ。






tsurutaya at 23:30|PermalinkComments(0)CC協会