2024年05月02日
2024年05月02日
続・ワタクシと日本酒(酒話肆)
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
このシリーズ、その酒との出会いを書いているせいか、
まあまあ未成年飲酒暴露記事と化していますが、昭和とは
そんな時代だったのです。エエ。
さて、今回は日本酒の続き。
★前回のあらすじ:
大学の入学式の3日前、入寮初日に日本酒の本格的デビュー&
トイレの住人を経験したワタクシだったが、それは洗礼の序章に
過ぎなかった。2日後の入学前夜、新入生歓迎の宴が、今まさに
始まろうとしていた。
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歓迎会といってもまあ、ご多分にもれず、新入生を肴に酒を飲む会、
なのであった。
大学の敷地の中に、工学部と農学部の学生寮が二棟つながっていて、
食堂と風呂を共用しているのだが、入学式の前夜行われる新歓行事は、
その食堂を利用して、二寮共同で行われる習わしだった。
食堂のテーブルをくっつけて並べたものに、暗幕をかぶせて設営しただけの
簡単なステージだったように思うが、新入生はわけもわからずに、
数人ずつ呼ばれ、舞台袖で自分の出番を待つことになる。
出番、いうのは、まあ、挨拶して芸をする、というだけのものだったが、
僕は当時、人前で話すのが得意ではなかったので、舞台に立つだけで、
足が震えていたと思う。
挨拶はデカイ声でオスと叫んで、出身高校と学部学科を言ってから名乗る、
というもので、まあ、数日前の宴会で仕込まれていたので問題なかった。
問題は芸である。
挨拶のあと、進行役にその寮で使っているご飯の器を渡され、
それに一升瓶から、日本酒を注がれる。
それを一気に飲み干してから、なんか芸をする、というわけである。
しかしまあ、男子大学生寮のご飯の器、それは茶碗ではなく、丼なのであった。
一気飲みにはチト厳しいし、おまけに、芸が受けないと、再履修が待っていた。
かくいう僕も、再履修して、一気飲みを二回もしたのだった。
今考えると短い時間で、けっこうすごい量を飲んでいるんだけど、
あれ、水で割ってあったんじゃないのかな?
もったいないし。
さておき、ちょっとばかし手荒な通過儀礼を終えて、安心したのもつかの間、
更なる試練が僕を待っていたのであったよ次回「その後の仁義なきワタクシと日本酒」に続く。
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青森の高校から工学部に入ったワタクシでしたが、実は同級生のMD君が
農学部に入っており、入寮もしていたので、偶然ながら同じ儀式を
体験することになったのでした。
そんで彼はその晩、病院に担ぎ込まれることになったそうです。
なんでもリヤカーで運ばれて、新歓での点滴本数の記録を更新したらしい、
のですが、それはまた別の話、なのです。
なんでもリヤカーで運ばれて、新歓での点滴本数の記録を更新したらしい、
のですが、それはまた別の話、なのです。
★今宵のおとも:山廃純米粕取焼酎 飛良泉
んでわ。