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2024年10月17日

まんが愛クロニクル 望郷篇「立ち読みの頃」

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 さて、私的マンガの記憶を絞り出すコーナーですよ。

『その時代にワタクシを魅了した作品をこそ、
 語るべきなのではないか?
 時代を切り口に、ワタクシがどのような作品に
 出合ったかを語ろうじゃないか、という企画』です。

 前回は、1973年4月~1974年3月くらいの記憶として、
田んぼに囲まれた田舎暮らしで、かろうじてマンガにありつき、
少ない小遣いから、コミックスを買い始めたころのお話を書きました。
 やっぱり天才だった永井豪やトラウマになりそうな楳図かずおとの
出会い、そして別れ(?)と再会について、未読の方は是非コチラからどうぞ。


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 さて今回は、前と打って変わって長い、1974年4月~1979年9月です。
 親が家を建てたため、仙台市の南部田園地帯から、仙台市北側の
ベッドタウンへ引っ越したあとの小学校後半~中学生の5年半です。

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 父が家を建てたのは、戸建ての住宅が集まったいわゆる“団地”という
ところだったのだが、歩いて行ける場所に書店があった。

 転校先の小学校は、できたばかりだったため図書館の蔵書量に
けっこう難があり、その頃関心のあった、ミステリとSFを
読みつくしてしまったため、放課後に書店で立ち読みするのが
習慣になったような気がする。

 気がする、というのは、子どもの頃の記憶が曖昧で、
いつくらいに何を読んでいたのかなどは、明確にはおぼえていない。
 時期的にこれはこの頃に読んでいたのだろうな、というのを
記録とつきあわせて書いているのだが、ほんの数年間にこれほど
傑作マンガが発表されていたのかと、あらためて驚いている。

 当時読んでいた週刊誌はジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオン、
キングといったところで、それぞれに看板作品があって、興味のある
作品だけ読んでいたのだが、毎週けっこうな数を読んでいたと思う。

 が、以前書いた通り、僕はジャンプっこなので、サンデー・マガジンは
けっこう流していたと思ったが、実はマガジンはけっこう読んでいて、
サンデーはほとんど読んでいなかったようである。

 マガジンでは、つのだじろう「うしろの百太郎」、
梶原一騎・ながやす巧「愛と誠」、矢口高雄「釣りキチ三平」、
ちばてつや「おれは鉄平」、手塚治虫「三つ目がとおる」、
永井豪「イヤハヤ南友」「手天童子」などなどに、
たまに載る水島新司「野球狂の詩」を読んでいた。

 安定感がすごい。

 対して、サンデーでは、古谷三敏「ダメおやじ」、雁屋哲・池上遼一「男組」、
藤子不二雄「プロゴルファー猿」くらいは読んでいる感じである。
 まあ、個人的にはサンデーの旬は80年代のような気がしているのだが。

 そして、この頃のジャンプは、吉沢やすみ「ど根性ガエル」や、
とりいかずよし「トイレット博士」と交代するように、
コンタロウ「1・2のアッホ!!」が始まり、
山止たつひこ(改め秋本治)「こち亀」や小林よしのり「東大一直線」の
連載が始まって、さらに江口寿史の「すすめ!!パイレーツ」が
載ってしまうという有様で、ギャグ専門誌かよ?と思うほどだった。

 一方で、ちばあきお「プレイボール」、牛次郎・ビッグ錠「包丁人味平」、
武論尊・平松伸二「ドーベルマン刑事」やら池沢さとし「サーキットの狼」を
やっていて、そのうち、車田正美「リングにかけろ」とか
寺沢武一「コブラ」が載るのであった。

 少年誌といえば、サンデーとマガジンが競って、後発のジャンプが
ガツガツ追って、という構図が有名だが、実はこの時期はチャンピオンが熱い。

 チャンピオンは手塚治虫の「ブラック・ジャック」、石森章太郎「番長惑星」、
藤子不二雄「魔太郎がくる!!」、って、トキワ荘多すぎじゃ?
 ほかにも、つのだじろう「恐怖新聞」、山上たつひこ「がきデカ」、
古賀新一「エコエコアザラク」に吾妻ひでお「ふたりと5人」なんてのもありました。
 ホラー率高いけど、ものすごいラインアップ。
 これにあんまり興味なかったんだけど、水島新司の「ドカベン」もあったから、
77年に、公称200万部でジャンプを抜いてトップだったのもうなづける。

 あとはキング…。
 荘司としお「サイクル野郎」は、読んでなかったし、望月三起也「ワイルド7」は、
かなりあとでコミックスでまとめて読んだし、聖悠紀「超人ロック」は、ずっと後だし
 いやマジでなんで読んでたんだろう…。

 しかし読んでいたからこそ、松本零士「銀河鉄道999」にリアルタイムで
出会うことができた。

 999に限らず、日々の立ち読み習慣あってこその出会いがいくつもあった。

 そんな小学生は、本屋の店員にすっかりおぼえられ、5時を過ぎると、
 「●●くん、もう遅いから帰りな、また明日ね」
 などと声をかけられるくらいになっていた。

 そう、人生初の“常連”というやつである。

 しかしその店はもう僕の記憶の中にしか存在しない。

 当時、できて10年もしないうちに国道向こうの隣の団地に移転し、
その後、知らないうちに閉店していたのである。

 人生初の本屋消滅というやつである。

 ご存じの通り、その後、書店はどんどん消えていくわけだが、
当時の僕には、知る由もないのであった。

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book_tachiyomi

 どうにも書ききれなかったので、次回、

んでわ。


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