2025年01月15日
「AY氏のはなし(2)」
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
昨年も書いたのですが、今日1月15日は、古くからの友人であった
AY氏の祥月命日です。
もうあれから10年も経つ、というのはなかなか信じられないのですが、
10年前、ワタクシは東京で暮らしていて、朝、仕事に向かう途中で
訃報を知りました。
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朝、東京テレポート駅から本社ビルに向かう道筋で、
陸橋の階段を上っている時にその電話はあった。
電話はNTからで、かれこれ30年来の付き合いだが、
学生時代の友人にありがちなことに、大学卒業後、20年程度は
疎遠な感じであった。
それがここ数年、僕がそれが東京に転勤になってから、けっこう頻繁に
飲みに行くようになっていた。
電話口のNTは、何かいつもと違って、かしこまった感じだったが、
「AYのヤツ、死にやがった」と言った。
文字にして書いてみると、何て言い草だ、という気もするが、
実際その時の僕らの心情はそんな感じだったと思う。
「勝手に死んでるんじゃねーよ」というのが偽りのない
ところなのであった。
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葬儀が翌日であるということがわかったので、出社したその足で、
同僚に会社を休む旨を伝え、その場で知る限りの方面に、
(主にSNS経由で)訃報を伝えた。
そのまま東京から仙台に帰ると、自宅で葬式の準備等を手早く整え、
盛岡へ向かった。AY氏と同じ大学サークルの面々と会うためである。
午前中に連絡できたため、HWセンパイや同期のFSなんかに会うことができた。
HWセンパイに会うのは本当に久しぶりだったが、とてもショックを
受けていたように思う。
これは余談だが、その後、AY氏の墓参りに行く途中で盛岡に寄った際に、
HWセンパイを墓参に誘ったところ「彼が死んだことを認めたくないから」
という理由で断られたことがある。
AY氏は、人当たりの良いスタンスで広く交友関係を結んでいたので、
サークルの古い年代にも、若い年代にも顔が利いていた。
僕はというと、あまり先輩達と交流がなかったので、SNSで連絡の取れない
方面については、もっぱらHWセンパイにお願いしていたのである。
葬儀が午後からだったので、翌日午前中に高速バスで目的地まで向かう予定で、
その晩はそのまま旧友たちと飲み、盛岡駅近くのビジネスホテルに泊まった。
翌日午前中、盛岡駅からは二時間半程度で大舘駅前に着いた。、
NTほか、AY氏の友人たちと合流し、葬儀場に向かった。
どうやら焼き場と葬儀場が一緒になっている式場らしかったが、
僕らは予定より早く着いてしまったようで、火葬前の対面もできるようだった。
どうするか訊かれて、お断りした。
死に方が死に方なので、けっこう変わり果てた有様である、と予測できたので、
以前の記憶のままにとどめておこうと思ったからである。
しかしまあ、そのことが僕のグリーフに大きくかかわってくるとは、
その時には考えもしなかったのである。(来年の1月15日に続く?)
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10年ひと昔と申しますが、加齢が進みますと、案外あっという間という気もします。
その割には、当時の記憶がもはやけっこう曖昧な点もあり、
んでわ。
tsurutaya at 23:30│Comments(0)│グリーフ
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