心理学豆知識
2024年07月01日
この日なんの日7月1日
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
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けっしてネタに困ったわけではねえんだが、今日7月1日はなんの日だったかな?
と、調べていたと思いねえ。
いゃあ、ネットで検索便利だねえ。
山開きに海開き、そうかやっぱり夏っぽいのが多いのかな?
井村屋あずきバーの日とかじゅんさいの日とかね。
ナニナニ?
7/1は6/31で、June(ジューン)31(サイ)、じゅんさい…!?
先日行った秋田は、たしかにすんげえ暑かったがなぁ…
しかしクレジットの日とか、銀行の日とか、更生保護の日?とか、
法律や条例の施行、公布なんかの記念日でもあるのかい。
まあ、四半期の切れ目、ってえ日でもあるしなあ。
に、してもウォークマンの日とか、鉄スクラップの日とか、
もう何がなんだかわからねえな。
なんかこう、も少しネタに、いやさ、ためになるような情報はないものかねえ。
あっ!「こころの日」だと!?これだっ!!
日本精神科看護協会発行の“こころの日パンフレット”によると、
『1988年7月1日に施行された「精神保健法」にちなんで、
日本精神科看護協会が 1998年より7 月 1日を「こころの日」と位置付けました』
ふむふむ1988年にそんなことがあったのかい。
その頃の手前は、ってえと…
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1988年7月1日、三か月の研修期間を終えた僕は、某メーカー系列の
ソフトウェア会社で、プログラマーとしての一歩を踏み出そうとしていた。
折しも日本国内はバブルの終盤。
仙台市の繁華街、国分町には明け方まで人がたかっていて、不夜城とは
かくあろうものか、と思ったものである。
そんな時代のせいか、定時で終わっては飲みに行き、残業しては飲みに行く、
という生活をしても、特に違和感もなく、案外楽しく暮らしていたように思う。
そして1990年、勤めていた会社では、二年前の倍以上の新人を採った。
なんでか三年目なのに新人教育担当をしていた僕だったが、
その数年後には、バブル崩壊のあおりで、当時の新人のかなりがいなくなるのを
見ることになった。
若手を欠いた現場で、仕事の受注も厳しいのに報酬額が下がることはない、
という会社の給与体系は、結果的に高い原価(人件費)として、
管理者の首をじんわり絞めていった。
無理な工期や、スキルの足りない人員、常態化する長時間労働はまだしも(?)、
サービス残業という悪習も登場してきたころに、とある先輩が、
仕事先から失踪したというニュースが聞こえてきた。
思えば、その後色々と耳にすることになる“戦線離脱”する人々の
走りだった気がするが、当時は不可思議な出来事だと思っていたようだ。
社内の研修なんかで“メンタルヘルス”という言葉を聞くよりも
ずっと以前の話で、今思うと「精神保健法」の施行からほんの数年だったが、
そんな法律で何かが変わった気は全然しなかった。
それから四半世紀もして、ストレスチェック制度が義務化され、
ようやく何かが変わり始めた気もしたが、その頃には、両手でも足りないほど、
同僚が“戦線離脱”していた。
まあ、それも僕がサラリーマンを辞めた理由の1つなのかもしれない。
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そうかそうか、「精神保健法」から35年ねえ。歳も取るわけだ。
あ、それじゃあ、もしや“メンタルヘルスデー”ってのが、
あるんじゃねえのかい?
どれどれ?えーと、10月10日が“世界メンタルヘルスデー”てえのかい?
世界とは大きく出たねこりゃ。
おおなんと!あのWHOが協賛してるじゃねえか。
なんつっても、厚生労働省のページに書いてあるんだから間違えねえな。
おや?
同じページにシルバーリボンなんてもんが載ってるね。
ふむふむ『シルバーリボンは脳や心に起因する疾患(障害)および
メンタルヘルスへの理解促進を目的とした運動のシンボルです』
か、ほう、バッヂもあるようだね。
サラリーマン辞めてメンタルヘルス関連の仕事するなら、
社章がわりにコイツを付ける、ってえのも悪くないねえ。
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あ、そういえば、シルバーリボンのバッヂ、ウチのNPOでも販売しております。
良かったらコチラからどうぞ。(宣伝オチ)
んでわ。
tsurutaya at 22:38|Permalink│Comments(0)
2024年06月13日
バイクで簡単マインドフルネス(二輪車物語)
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
先日書きました通り、久しぶりに自転車を復活させたので、
近所に行くのに使ったりもしますが、実はワタクシ、
手持ちの二輪車は125ccスクーター、650ccアメリカン、
と、合わせてタイヤが6つございます。
とはいえ三台いっぺんに使えるわけもなく、ここ10年20年で
最も出番が多いのは、やはりスクーターなのであります。
サラリーマン時代の30代には仙台市内への通勤の足だったし、
その後40代の東京転勤時にも、高速道路使えないもんで、陸路を
ひたすら走って東中野まで運んだものです。
そして今日もエンジンのかからなくなった単車のかわりに、
スクーターに乗って、はるばるバイク屋に行ってまいりました。
ええ、単車の修理と車検の依頼でございます。
行きつけのバイク屋は、うちから少々離れたところにあるのですが、
何かと融通がきく、フレンドリーなお店なので、ここ30年くらい
お世話になっています。
そしてそこへ向かう際には、いつもちょっと遠回りをして、
山中を抜けるルートを走ることにしています。
山の稜線にそってつくられた道路は、周辺の自治体の境目にも
なっているのですが、見晴らしも良いし、ほどほどに曲がっていて
退屈しません。途中になんか公共施設があるせいか、舗装もしっかり
していて、安心して走れます。
ここ半年ほど、妙に忙しかったり、体調が思わしくなかったり、と
バイクから縁遠い日々を送っておりましたが、山の清廉な空気の中を
久しぶりに走るのは、とても気持ちが良かったです。
あ、そういえば6年前の今時分に、こんなことを書いていましたよ。
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新緑の季節ですね。
乗らない方にはイメージしづらいかもしれないですが、オートバイに
乗っていて一番好きなのは、実は今時分なのです。
暑すぎず寒すぎずヘルメットのバイザーに当たる虫の類も夏よりは
大分少ない、まあ、梅雨が来るまでの間、ですけどね。
社会的には少数派、と思って良いオートバイユーザー(以下バイク乗り)ですが、
狭い世界ながらも、趣味の世界のご多分に漏れず、色々な方向に細分化されています。
そして、その生息域も、峠とか林道、ご近所限定の下駄がわりまでと、様々です。
ワタクシの場合、主に農道や田舎道をメインステージとした、だらだら流すだけの
傍で見てると楽しさがイマイチ伝わらない感じの走り方をしています。
流れる風景をなんとなく眺め続けるのは、昔の電車の旅にちょっと似ているかもしれません。
農道なんかを走っていると、何キロも信号がないということもざらで、視界に入る風景も
遠くの山と近くの田んぼばかりなのですが、目の前で変わっていく景色をただ眺める、
というのは、日常を暮らしているとなかなか取れない貴重な時間だな、と感じます。
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、
ただ観ること」という説明がされることもある、“マインドフルネス”にも、
ちょっと似ているような気がします。
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今日もぼんやり山を走りながら、やっぱりこういう道はスクーターより
単車のほうが気持ちいいな、なんて思ってました。
よし、車検から帰ってきたら、乗ろう!梅雨がくるまで。
(※なお、平年の梅雨入り時期は、もう過ぎている模様)
んでわ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)
2024年05月27日
マズローの欲求段階説とやら(SideB)
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
ちょっと前に書いた、マズローの欲求段階説ねたのB面です。
え?
「B面がワカラナイ」って?
裏面ってことで、ご容赦ください。
で、“裏”なので、少々剣呑なオハナシになります。
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★前回のざっくり
心理学者マズロー先生が「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮説を、
5段階の階層で説明していたのを“誰か別の人が図にまとめた”ものが、
この有名な図なのですが、
この説は科学的正当性を証明することができず、専門家がこの説を
取り扱うことは、ほぼないものの、直感的にわかりやすい、という理由から、
ビジネスシーンなんかではよく使われているようですよ。
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ところでこの「欲求階層説」ですが、犯罪心理という観点からだと、
犯罪者の動機や目的が理解しやすくなる、という側面もあるようです。
それぞれの欲求が満たされない場合、どんな犯罪になるか、をざっと書きますと…
・生理的欲求:生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。
→食べ物を食べたい、という欲求が満たされないと、窃盗などの犯罪に走る場合がある。
・安全の欲求:安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、
事故の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。
→自分と敵対している相手や、自分に不安・威圧を与えている相手を
傷つけたり脅したりするような犯罪を起こしやすくなる。
・社会的欲求:生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。
→学校や家庭に居場所を見つけられない子供が非行に走るとか、
好きな相手から愛されないことを不満に感じ、ストーカーと化したりする。
・承認欲求:自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
→派手な劇場型犯罪や愉快犯やら、凶悪犯罪を行うことで自分の過剰な承認欲求を
満たそうとするなど、色々なケースがある。
・自己実現欲求:自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものに
ならなければならないという欲求。
→完全犯罪やテロを計画するなど、犯罪そのものを芸術化したり自己目的化したりする
特殊な犯罪が実行される。
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人間は自己実現に向かって絶えず成長するはずが、どうしてこうなった?
と、マズロー先生も、さぞお嘆きかと思いますが、そのマズロー先生、後年、
この五段階、自己実現欲求のその先に“自己超越(Self-transcendence)”の段階がある、
と発表したんですよね。
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自己超越者 (Transcenders) の特徴
・「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
・「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
・統合された意識を持つ
・落ち着いていて、瞑想的な認知をする
・深い洞察を得た経験が、今までにある
・他者の不幸に罪悪感を抱く
・創造的である
・謙虚である
・聡明である
・多視点的な思考ができる
・外見は普通である (Very normal on the outside)
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なんだか覚者とか聖人とかそんな感じなんでしょうかね。
ワタクシ、それよりも、
「自己超越欲求が満たされない人間は、どんな罪を犯すのか?」
ってことが、すんごく気になるのですが。
んでわ。
(…俺は人間をやめるぞ!って感じかもですねえ)
tsurutaya at 23:26|Permalink│Comments(0)
2024年05月06日
マズローの欲求段階説とやら(SideA)
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
忘れたころに心理ネタ、ということで、こんなピラミッド、見たことありませんか?
マズローの欲求段階説とか、自己実現理論とか、自己実現論とか、
欲求5段階説とか、色んな呼び名があるこのピラミッドですが、
アメリカの心理学者であるマズロー先生が
「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮説を
5段階の階層で説明していたのを、誰か別の人が図にまとめたらしいです。
図は別の人が…とは、びっくりです。
図は別の人が…とは、びっくりです。
★ざっくりせつめい
・生理的欲求:生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。
・安全の欲求:安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、
事故の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。
・社会的欲求:生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。
・承認欲求:自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
(以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、
すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくるので、最後の欲求が出てきます)
・自己実現欲求:自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものに
ならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
と、まあここまで長々書いてきましたが、ちゃぶ台返しをしますと、
実はこの説、わりと早い時点で、再現・実証研究がけっこうされていて、
ほとんどのケースで、その科学的正当性を証明することができなかったのだそうです。
いわく「すべての人が、あらゆる場面において、同一の欲求階層をたどるとは限らない」とか、
「性差や人種差を考慮すると違ったパターンになる」とか、
「西洋的価値感に寄りすぎ」とか、いろいろ。
ということで、現在の行動科学で専門家がこの説を取り扱うことは、
ほぼほぼなくなっています。
でも実際にネットで検索すると、出てくる出てくる似たような三角形。
これは、この説が直感的にわかりやすい、という理由から、ビジネスシーンなんかで
よく使われているためみたいです。
全ての人に当てはまるわけではないけど、あながち間違いというわけではないので
アリ?なのか?しらん?
なぜかSideBに続く
んでわ。
tsurutaya at 00:00|Permalink│Comments(0)
2024年04月01日
ミュンヒハウゼン症候群
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
年度も変わって四月一日。
ニュースでは新社会人の入社式やら、能登半島地震から三か月とかやっていましたが、
エイプリルフールというのも今日なもんで、ここでなにやら怪しげなことを書くと、
嘘なんじゃないかと疑われてしまいますな。
え?いつも怪しげですって?
じゃあいっそウソっぽいホントの話を書くことにしましょう。
そういえば“ホラ吹き”って“嘘つき”とは意味合いが違うみたいなんですよね。
真実とは違うことを言う人が“嘘つき”で、
“ホラ吹き”は物事を大げさに言う人、という意味合いのようです。
法螺貝をふくと、思ったより大きな音が出るから、というのが語源らしいですね。
今風に言うと“話盛ってる”とかでしょうか。
まあ“ホラ吹き”って言葉もあんまり耳にしないようになった気がします。
“ほら吹き男爵物語”ってのも、テリー・ギリアム監督の映画を
最後にあまり聞かなくなったなー、と思ったら、最近は“ほら吹き男爵”の
モデルである“ミュンヒハウゼン”の名前をたまに聞くようになりました。
『ミュンヒハウゼン症候群』です。
周囲の関心や同情を引くために、病気を装ったり、
自らの体を傷付けたりするといった行動をとる、
精神疾患(虚偽性障害)の一種だそうです。
まあ、前段の定義からすると“ホラ吹き”じゃなくて“嘘つき”のような気がしますが、
すでにかかっている病気を重症であるように誇張することもあるそうです。
怪我や病気を口実に、周囲の人の同情をかったり、闘病をアピールすることで、
なにかしらの精神的利益を得るのが目的だとか。
対して、経済的利益を求めて、虚偽またはおおげさに強調された
身体的・心理的不調を意図的に装うことを『詐病』と言います。
一見、目的が違うだけにも見えますが、片や精神疾患で、
もう一方は詐欺の類のように思いますので、個人的には大分違う印象です。
なお、『仮病』については、「その場しのぎの言い訳などに使われる」という
説明が散見されるようです。
んでわ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)