グリーフ
2025年05月12日
3つの約束(わかちあいの会)
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
先週、仙台グリーフケア研究会主催「わかちあいの会」の
お手伝いをしてきました。
今回の役割は、わかちあいの会の輪の外でサポートする、というものでした。
わかちあいの会の参加者はナーバスな状態な方が多く、会の途中で
気分が悪くなったりする方もまれにおられます。
そういった時に、部屋の外にご案内するという、基本的には、
有事の際の対応が主な仕事になります。
ほかにもエアコン調整、換気なんかを行う役割ですが、
まあ、基本的には待機して、皆さんの様子を眺めることになります。
「わかちあいの会」じたいは、参加者の他に、全体の進行を行う
ファシリテータと、その補佐役がメンバーです。
なので、サポート役は、登場人物の中には入っていません。
空気みたいなものです。
ただ、俯瞰する、という意味では、なかなか進行が見えやすいと感じています。
「わかちあいの会」では、開始前に以下の3つのルールを守って
いただくように伝えています。
・会の中で聞いたことを外では話さない
・他の参加者の方に対する、非難やアドバイス、励ましなどに繋がる発言は控える
・話したくない時には無理に話さず、「パス」をしていい
まあこれは最低限のルールというもので、いろんな方がたが集まって
話をする以上、ちょっと逸脱する方も一定数いらっしゃいます。
そういった状況を調整するのがファシリテータの役割になります。
今回は、他の方が話している最中に、大きな声で「わかりますー」とか
言って割り込んで自分の話を始める、という方がいたのですが、
これは上記3ルールには抵触しないものの、ファシリテータが介入して
元々話していた方に話し手を戻す場合があります。
元々話していた方に話し手を戻す場合があります。
例えば子どもたちを対象にしたこういった会では、発言時にボールなどを
持つようにして、話し終わったらボールを次の人かファシリテータに
渡す、という形式で行ったりします。
これ、子どもにはルールの把握と実践が難しいから、だと思っていたのですが…
大人であろうとも、必要なのかもしれない、と思ったのが先日の感想です。
んでわ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)
2025年04月14日
虎は死して皮を残す、
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
先週、三か月ぶりに、仙台グリーフケア研究会主催
「わかちあいの会」のお手伝いをしてきました。
裏方担当でしたが、終了後のスタッフ全員による振り返りでは
いつも新しい気づきがあります。
今回印象に残ったのは、故人の持ち物を捨てられない、
という気持ちが長く続いているのは、男性に多い、という話でした。
というのは、実はワタクシ、身に覚えがあったからなのです。
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近所に住んでいたAY氏が急逝した折に、葬式等が終わり、
ひと段落ついたころ合いに、妹さんが秋田からやってきた。
葬式の際に、仙台に2,3日滞在して、故人のアパートを
引き払うつもりだというので、現地での協力を約束したのだった。
相談に乗った際に、法的手続きが終わるまで荷物を勝手に
処分できないとかで、レンタルスペースのような場所がないか訊かれた。
その頃、僕は勤めていた会社を辞めて自宅に戻るため、
東京のアパートの荷物を引き受けるスペース1部屋を準備済みだった。
まだ僕の引っ越しまでは時間に余裕があったのと、家の空間にも
余裕があったため、本当に軽い気落ちで、故人の荷物を引き受けることに
してしまったのである。
妹さん夫妻と、久しぶりにAY氏のアパートに入ったが、
50おとこの一人暮らしは気まま過ぎて、大量の本やDVDが山を成していた。
故人の友人数人に話を通して、一日荷物運びに協力してもらったが、
2トントラックで二往復、受け入れ予定の部屋には天井まで段ボール箱が積まれ、
更にウチの別の部屋にまで荷物が運び込まれた。
実のところ、けっこうな量のモノを処分したのだが、予想を遥に越える物量であった。
そして怒涛の大移動から数か月、法的な手続きが済んだとかで、荷物は処分可能となった。
形見分けなんかを含め、こちらの裁量で処分を進めてもよいとのことだったので、
ちょっとずつでも捨てていこうとしたのが9年くらい前。
最初の頃は、別に急がなくても困らないから、とうそぶいて何もせずに
いたのだが、3年経っても箱2つくらいしか片付かなかったのであった。
当時、カウンセリングの勉強会の演習で、僕の鉄板の相談ネタが
「片付かない部屋」だったことからも、いいかげん片付けたがっていたはずなのに、
なんでかうまく行かない。
なんなら、その部屋に入るのさえためらわれたのだが、思うに、当時の荷物部屋は、
その物量を以って、AY氏の部屋になっていたのだ。
昔AY氏が勤めていた神奈川のIT会社が潰れて、仙台に都落ちした際の居候先が
僕の家だったのだが、荷物部屋がまさにその居候場所だったのもあるだろう。
結局、故人と長年付き合いのあったNTが東京からやってきて、合宿状態で
片づけを進めて、窓から外の光が差し込むようになり、そのあたりから
一気に整理が進んだように思う。
部屋の整理には6,7年かかったが、その他捨てるのに鐘のかかる電化製品なんかを
秋田の妹さんが取りに来たのが昨年五月のことである。
結局ほぼ10年かけての後始末となったのであった。
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こうして書くと、けっこうエライ目にあったなあ、と思うけれども、
よくよく考えれば、明日は我が身の話なのです。
うちの半端ない量のマンガなんかは、後見人を指名しておかないと
どかんと捨てられてしまうのだろうなあウラメシヤ。
なるほどこうやってモノに持ち主の怨念がこもっていくのやもしれぬ、
自重せねば。
あんど、終活で蔵書整理ですね。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)
2025年01月15日
「AY氏のはなし(2)」
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
昨年も書いたのですが、今日1月15日は、古くからの友人であった
AY氏の祥月命日です。
もうあれから10年も経つ、というのはなかなか信じられないのですが、
10年前、ワタクシは東京で暮らしていて、朝、仕事に向かう途中で
訃報を知りました。
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朝、東京テレポート駅から本社ビルに向かう道筋で、
陸橋の階段を上っている時にその電話はあった。
電話はNTからで、かれこれ30年来の付き合いだが、
学生時代の友人にありがちなことに、大学卒業後、20年程度は
疎遠な感じであった。
それがここ数年、僕がそれが東京に転勤になってから、けっこう頻繁に
飲みに行くようになっていた。
電話口のNTは、何かいつもと違って、かしこまった感じだったが、
「AYのヤツ、死にやがった」と言った。
文字にして書いてみると、何て言い草だ、という気もするが、
実際その時の僕らの心情はそんな感じだったと思う。
「勝手に死んでるんじゃねーよ」というのが偽りのない
ところなのであった。
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葬儀が翌日であるということがわかったので、出社したその足で、
同僚に会社を休む旨を伝え、その場で知る限りの方面に、
(主にSNS経由で)訃報を伝えた。
そのまま東京から仙台に帰ると、自宅で葬式の準備等を手早く整え、
盛岡へ向かった。AY氏と同じ大学サークルの面々と会うためである。
午前中に連絡できたため、HWセンパイや同期のFSなんかに会うことができた。
HWセンパイに会うのは本当に久しぶりだったが、とてもショックを
受けていたように思う。
これは余談だが、その後、AY氏の墓参りに行く途中で盛岡に寄った際に、
HWセンパイを墓参に誘ったところ「彼が死んだことを認めたくないから」
という理由で断られたことがある。
AY氏は、人当たりの良いスタンスで広く交友関係を結んでいたので、
サークルの古い年代にも、若い年代にも顔が利いていた。
僕はというと、あまり先輩達と交流がなかったので、SNSで連絡の取れない
方面については、もっぱらHWセンパイにお願いしていたのである。
葬儀が午後からだったので、翌日午前中に高速バスで目的地まで向かう予定で、
その晩はそのまま旧友たちと飲み、盛岡駅近くのビジネスホテルに泊まった。
翌日午前中、盛岡駅からは二時間半程度で大舘駅前に着いた。、
NTほか、AY氏の友人たちと合流し、葬儀場に向かった。
どうやら焼き場と葬儀場が一緒になっている式場らしかったが、
僕らは予定より早く着いてしまったようで、火葬前の対面もできるようだった。
どうするか訊かれて、お断りした。
死に方が死に方なので、けっこう変わり果てた有様である、と予測できたので、
以前の記憶のままにとどめておこうと思ったからである。
しかしまあ、そのことが僕のグリーフに大きくかかわってくるとは、
その時には考えもしなかったのである。(来年の1月15日に続く?)
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10年ひと昔と申しますが、加齢が進みますと、案外あっという間という気もします。
その割には、当時の記憶がもはやけっこう曖昧な点もあり、
んでわ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)
2025年01月13日
今年初のわかちあいの会
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
先週、今年初めての、仙台グリーフケア研究会主催
「わかちあいの会」のお手伝いをしてきました。
事前の申し込みでは、参加者4,5名ほどかと思われ、
当日も前日からの大雪ということで、こじんまりと実施する、と
思われたのですが、蓋を開けたら8名もの参加者となりました。
事前ミーティングで、参加者少な目、という見通しで、
その日、初ファシリテーターを拝命したワタクシには、
想定外の出来事の予兆であったと申せましょう。
参加者が8目になった時点で、部屋を2つに分けたので、
当初の担当人数とほぼ同じになったのですが、場所とココロの
準備のゴタゴタはあまり気持ちのいいものではありません。
そんなワタクシの心情はさておき、今回の参加者の方々は、
似た境遇でもあったため、比較的平穏に進めることができました。
ただ、ワタクシ、初回ということもあり、進行のルールを
強く意識してしまい、参加者の方々の自由な発言を
損ねてしまったのではないか、と反省しております。
また、若干の失敗をした一方、カウンセラーとしては理解していた
つもりの“沈黙”について、新たな知見も得られたように思っています。
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カウンセリングにおいて“沈黙”とは、色々な意味があります。
例えば「相手がどういうふうに表現しようか言葉を探している場合」や
「自己洞察を行っているのではないかと思われる場合」、
「こちらの言葉を検討している場合」、「発言を受けて気持ちを整理している場合」
などは、こちらが少々待つ必要があるケースといえます。
逆に、「相手が極度に緊張している場合」や
「特に話すことも浮かばず、相手が少し居心地の悪さを感じている場合」
などは、こちらから何らかのアクションをする必要があります。
とまあ、カウンセリングにおいてはそれなりに“沈黙”の対応を
できるつもりでいたのですが、これが複数人になると、
少々違った趣も出てきます。
それは「周りの人間の出方をうかがう場合」の沈黙です。
実際ワタクシ自身も覚えがあります。
でもまあ、次回はその辺もちゃんとふまえて、
もうちょっとうまく進行できるよう、精進いたします。
んでわ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)
2024年12月12日
人それぞれでよか「連続テレビ小説 おむすび」
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らすつるたやです。
平日の朝ドラ今シーズンはナナメに見てるつるたやです。
やー、ワタクシ、朝ドラはわりとみている方ですが、
今シーズンの「おむすび」はちょっと息切れ気味です。
オジサンにギャルねたはちょっときびしかった、のかも?
★公式サイトからのざっくりしょうかい
平成元年生まれのヒロインが、栄養士として、人の心と未来を結んでいく
“平成青春グラフィティ”。
“平成青春グラフィティ”。
どんなときでも自分らしさを大切にする“ギャル魂”を胸に、主人公・米田結が、
激動の平成・令和を思いきり楽しく、時に悩みながらもパワフルに突き進みます!
さて、そんなギャルしている主人公ですが、子どもの頃に
神戸で被災をしています。
そして、先週は主人公の姉や、姉の親友の父、知り合いのおばさん
それぞれが違ったグリーフを抱えていることを描く「グリーフ回」
だったのであります。
★先週の内容については、以下でざっくりしょうりゃく
[おむすび] 第10週「人それぞれでよか」ダイジェスト
だいたい2分でわかる【ネタバレ注意】| 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK
朝ドラは週単位でサブタイトルがついているのですが、
先週は『人それぞれでよか』でした。
これって、以前に書いた「悲しみはひとそれぞれ」である、という
グリーフケアでは当たり前のことを言ってるな、と改めて思いました。
それはさておき、サイトの紹介で“激動の平成・令和を”って
書いてるってことは橋本環奈、東北に炊き出しに来るのかしらん?
んでわ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)