おんがく

2025年08月14日

縛りプレイリスト「サザンオールスターズ」編

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 先日、
『人生の大部分を“好きな音楽はロックです”って
 語ってきたけど、実は“ロック好き”というよりは、
 “歌謡曲好き”なのではないか』
結局何がロックで、どれがJ-POPなのか、未だにわからないのでありました。

 そんなワタクシですので、世代的にはまあまあ聴いてきたのに、
なんとなーく、紹介しそびれていたのが、このバンドなのであります。

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勝手にシンドバッド - サザンオールスターズ

 なぞの遠慮があって、いままででも夏盤企画で「シャボン」一曲だけ
紹介したのみなのであった。(おっとちょうど去年の今日だ)

 ということで、せっかく(?)なので、サザンで一番好きな曲がなんなのか
晒す企画にするよ?

 まずはハタチ前後の頃に、カラオケでよく歌ったコレは鉄板。

いとしのエリー

 上の2曲は、リリース当時まだ中学生で、テレビやラジオで流れる
歌謡曲くらいしか認識していなかったんだと思う。

 そして、怒涛のロック漬け高校生時代を経て、大学に入ったら、
寮の同部屋に、KK先輩がいたのであった。

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 大学寮時代の僕の音楽経験は、かなりの割合で、KKさんに頼っていた、と思う。

 まず、オーディオセット一式を所有していたのがデカイ。
 これは部屋長のTN先輩の度量も関係していると思うが、当時寮の四人部屋という
特殊な環境でレコードプレイヤーまで持っている人はかなり稀であった。

 そして、サザンのようなポピュラーなレコードは持っている寮生が
けっこういたが、KKさんは、当時盛んだったレコードレンタル店、黎紅堂から
よくレコードを借りてきていた。

 フュージョンもよく聴くひとで、Dave Grusin や Lee Ritenourも
ダビングさせていただいたものだ。
 そして、これがとても大きいのだが、僕が愛して止まない「Harlequin」を
教えてくれたのも、KKさんだったのである。

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 おっと、懐かしさのあまり話がそれてしまったようだ。
 (まあ、いつものことだね) 

 就職してカラオケで「いとしのエリー」を歌うのに抵抗があった頃、
しばらく歌っていたのがコレ。


ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)

 これにしたって寮の誰かが買ったLPをダビングした気がするな。

 ということで、サザンの好きな曲、ちょっと絞って紹介しましたが、
次が僕の好きな、堂々第一位の曲になります。


EMANON 

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 と、いうことで、
 「わりと好きな曲が多いバンドから一曲だけを選ぶ」
 縛りプレイリスト企画が始まったようです。

 あ、この企画、優柔不断なワタクシ的にはけっこうキツイかもしれないです…
 
んでわ。


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2025年08月06日

音懺悔・歌謡曲編

まいど。
 人生の大部分を“好きな音楽はロックです”ってカタッテきたつるたやです。

 しかし、このブログで音楽ネタをつらつら書いてきて、
1つの不都合なジジツにたどり着きました。

 それは、ワタクシ実は、“ロック好き”というよりは、
“歌謡曲好き”なのではないか?、ということなのです。

 そもそもロック自体、高校デビューですし、それ以前は
歌謡曲くらいしか聴いていないわけです。
 ここ数年のご新規はアニソンばかりで、ロックの新譜買ったのなんて
デビッドボウイの遺作が最後です。

 特にここ最近はブラジルばっか、それもいわゆる“MPB”すなわち
Música Popular Brasileira、ブラジルのポピュラー・ミュージック、
であります。別にロック限定ではありません。

 これはまあ、音楽鑑賞の経歴詐称といってもいいでしょう。
 どっかの市長だったら炎上案件かもしれない。

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 さて人生で最初好きになった歌謡曲といえばコレである。

ブルー・ライト・ヨコハマ - いしだあゆみ(1968年)フルコーラスPV

 当時の僕は年端もいかない未就学児であったが、いしだあゆみが
出ると、テレビにかじりついて見入っていた、との証言がある。
 そういえば今年お亡くなりになったのだった。(R.I.P.)

 母が歌番組好きだったせいか、家ではよく歌謡ショーの類を
見ていた気がする。

 せっかくなので、各年代ごとに好きだった曲も探してみよう。

異邦人 - 久保田早紀

 14歳の夏に父が亡くなった話は、先日書いた通りだが、わりとすぐに、
母の実家がある青森県に引っ越した。
 その頃に流行っていたのがこの曲だったのだが、当時の僕は偏屈な中学生で、
自分の置かれた境遇にけっこう絶望しており、異言語のような方言を話す
級友たちにも馴染めず、異国で孤独を感じているように思っていた。

 そんなわけなので、この「異邦人」は、まさに自分のための曲だった。

 その後すぐに高校に入学してロックに出会い、洋楽ばかり聴くようになった
(でも「ザ・ベストテン」は欠かさず見ていた)が、高校三年の時に、
とあるアニメにハマった。
 今でこそ深夜アニメばっかり見ている人になっているが、当時はそこまで
熱中したアニメ作品はなかった(と思う…最近記憶に自信がない)。

 そして大学入学後に、サークルのたまり場で、その作中のヒロインを
演じた声優が出したアルバムを知ることになった。

Blueberry Jam (2019 Remaster) - 飯島真理

 これはアルバムの一曲目。
 当時の僕にしてみたら、坂本龍一がプロデュースしていたのも
ポイントではあったが、歌謡曲かと言われると違う気もするし、
アニソンでもなければ、まあ、別にロックでもなかった。

 さて、さっきまで知らなかったのだが、AIいわく、
『大衆向けの音楽を表す言葉として1990年代以前が歌謡曲、
 1990年代以降はJpopと分けられます』
 とのことなので、このネタはこれくらいにしておこう。

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 と、ここまで振り返って、この辺からあとはアニメの曲が
多くなっていくことに気づきました。

 というわけで、次回「音懺悔・アニソン編」でお会いしましょう。

んでわ。


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2025年07月23日

追悼:渋谷陽一

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 音楽評論家の渋谷陽一氏が亡くなったということで、ワタクシ含め、
一部の古いロックファン(古い、がどこにかかるかは読み手におまかせします)
はけっこう衝撃を受けたことと思います。

 ほんの十日前に、“産業ロック”ネタ

> 渋谷陽一の番組はなかなか面白かったと思うのだが、
>唯一“産業ロック”について語るときには、ちょっと過剰な
>敵意を感じていた。

 なんて書いたばっかりなのに、まさかその四日後にお亡くなりになるとは…。

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 その昔、僕がまだ高校生だった頃、世の中は空前のFMブームで、
関係する音楽雑誌もFM Fan・週刊FM・FMレコパル・FM STATIONなど色々あった。

 “エアチェック”という言葉はもう死語なのだと思うが、
FMラジオを音源にして、かかる曲をカセットテープに録音する、
というのが、当時の僕らにとって、LPレコード盤以外で唯一の方法だった。

 そんなわけで、ラジオでかかる音楽情報をあらかじめ知ることができる
FM情報誌はめったにレコードを買えない僕らの、いわゆる“マストアイテム”、
ってやつだったのである。

 やつだったのであるが、なぜか『rockin'on』(ロッキング・オン)
という雑誌が、少ない小遣いから購入する唯一の雑誌だった。
 280円と安かったしね。

 そもそもこの雑誌には放送される音楽の情報は載っておらず、
ロック限定で、レビューや、ミュージシャンのインタビュー,
小難しい音楽論などが誌面をしめていいた。

 編集長は、あの「サウンドストリート」で木曜金曜のDJを
つとめる渋谷陽一で、ロックについて醒めた感じで語る、
そのままの雰囲気が雑誌全体に漂っていた(ような気がする)。

 いずれにせよ、当時の僕はただただロックについて
もっと知りたかったのだと思う。

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 さて、彼を追悼するなら、やっぱりコレをかけなきゃね。


Achilles Last Stand (Remaster)
 
R.I.P.


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2025年07月21日

「PLAYS UNIT 5 SUMMER LIVE」にいってきたよ

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 友達が参加しているバンドがライブをするというので行ってきました(定期)。

live19Jly2025

 なんと今回はジャズなんですぜ!?

 とはいえ一部アニソンジャズを含む、という謎構成でしたが、
アニソンのジャズアレンジというよりは、ジャズよりのジャズ(?)な
感じで、カッコ良かったです。

19Jly2025all

 土曜で仕事もない、ということもあり、早めに街に出て、
近所の祭りも冷やかす、新規ビストロの開拓、などと盛りだくさんでしたので、
なかなかにローカルを楽しめた夕べになりました。

んでわ。


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2025年07月10日

産業ロックの陽が昇る

まいど。
 人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。

 “産業ロック”ってご存じですか?
 
 知らないアナタ様が調べる手間をはぶきますと…

『「産業ロック」とは、1970年代後半から1980年代にかけて、
 商業的に成功を収めたロック音楽のジャンルを指す言葉です。
 特に、大衆にアピールするキャッチーなメロディや洗練されたアレンジ、
 そして大規模なプロモーション戦略を特徴とするバンドを指すことが多いです。
 日本では「産業ロック」という言葉が一般的ですが、
 海外では「アリーナ・ロック」や「コーポレイト・ロック」と呼ばれることもあります。』

 って、AIが言っています。

 ロックの音楽評論家、渋谷陽一が名付けたらしいこの名称は、
商業主義に迎合したバンドを批判している、とも取れますが、
50年も経つと、アレは一体なんだったんだろうと思ったりします。

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 その昔、僕がまだ高校生だった頃、NHKのFM放送で、
「サウンドストリート」という音楽番組があった。
 平日月曜から金曜の夜10時くらいから、曜日で司会担当者を変えて
4,50分程度オンエアされていた。

 まあざっくり10年間くらいの歴史で、渋谷陽一という音楽評論家(?)が
司会している時期があったのだが、当時はなんでか木曜と金曜の
二日を担当していた。
(他の日の司会は、松任谷正隆、佐野元春、坂本龍一、山下達郎、
 甲斐よしひろなど、錚々たるメンバー)

 ネットのない時代、ロックに特化した音楽番組は貴重で、
木曜金曜はFMチューナー(!)にはりついて、
隙あらば新曲を録音しようとしていたものだ。

 渋谷陽一の番組はなかなか面白かったと思うのだが、
唯一“産業ロック”について語るときには、ちょっと過剰な
敵意を感じていた。

 今にして思えば、ロック、という音楽ジャンルにこだわってきたから
こその強い思いが、ともすれば“商業的な”においに対して
過敏に反応していたような気もするが、そこまでの思いも知識もない
ノンポリな僕には、そんなに嫌わなくていいような気がしていたのだ。

 なんにしろ、彼らが70年代後半から80年代に、けっこう重要な役割を
果たしてきたのは間違いない。と思っている。

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 さて、いわゆる産業ロック、ワタクシ、けっこう好きな曲が多いので
さらっと紹介しちゃいます。

 まずは産業ロックといえば必ず引き合いに出されるBOSTON。


Boston - More Than a Feeling (Official HD Video) (76)

 で、TOTOが77年結成ですね。
ボズ・スキャッグスのバックバンドから生まれたバンドです。


Child's Anthem 

 これは78年に出たファーストアルバムの一曲目です。

そしてSONYのコンポのCMに使われたのがこの曲。
Toto - St. George and the Dragon

 …これはCM画像が欲しかったですが。

 78年にはBOSTONのセカンドアルバムも出ています。
Don't Look Back

 そしてこれまた産業ロックといえば、の、Journey。

Journey - Open Arms (Official Video - 1982)

 上記を含むアルバム“エスケープ”が81年リリース。
 有名なこれ↓も収録されてます。

Journey - Don't Stop Believin' (Official Audio)

 最後にこれも。
エイジアのファーストアルバム(81年)から、
まだおきかせしていないこの曲を。
Asia - Only Time Will Tell (Official Music Video)

 この方々は、まあ産業ロックより、プログレ年金バンドって
言われてたのが衝撃でしたが。

んでわ。


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