映像
2024年07月22日
反語なのかしら「連続テレビ小説 虎に翼」
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らすつるたやです。
平日の朝ドラおもしろおかしく見てるつるたやです。
やー、ワタクシ、朝ドラはわりとみている方でして、
平日5回連続放映して、土曜はダイジェスト、って構成にも
すっかり慣れました。
で、今シーズンはコレですね。「虎に翼」
★ざっくりしょうかい
日本で初めて、女性の弁護士、判事、裁判所長を全部つとめた
“三淵嘉子”という方をモデルにした、NHKのオリジナル作品です。
★先週の内容については、以下でざっくりしょうりゃく
[虎に翼] 第16週 ダイジェスト だいたい2分でわかる
【ネタバレ注意】| 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK
まあ、先週は、新しい環境で主人公寅子が、苦戦しつつも
信頼関係を構築していく、というような話でした。
あわせて、親友である義姉や弟たちに頼りきりだった、
娘との関係修復も行っていくという感じ。
ちなみに週でついているサブタイトルは「女やもめに花が咲く?」
なので、寅子に、好意なのかどうなのか、なにかしら興味を
持っているっぽい存在も描かれます。
だがしかし!ワタクシ視点ですと、ズバリこの週は、
「グリーフ回」
だったのであります。
寅子になじまない地元の職員の一人である、書記官高瀬が
問題を起こして、寅子がそれに対処するエピソードがあるのですが、
その問題というのが、地元の有力者に、亡くなった兄について
「次男坊もしんぺえでぇ、成仏しねえろぉ」
などと言われてキレた、というものでした。
書記官高瀬の中では、愛した兄について、他人に決めつけられるのは
我慢がならなった、ということかもしれません。
グリーフ視点なしでも、田舎の息苦しさに辟易していた高瀬の気持ちと、
赴任以来寅子のおぼえていた違和感とがリンクするものだったと感じました。
そしてこのエピソードでワタクシは「グリーフとは、人それぞれ違うものである」、
という基本を、この作品の脚本ではきちんとふまえているのだな、と思いました。
このエピソードのみならず、主人公寅子のグリーフについても、
娘に戦死した夫のことを訊かれてても、語ることができない、という形で描かれます。
彼女自身もまた、戦後という日々を生きることに精一杯で、
自らの悲しさに目向ける余裕のなかった、寡婦なのでした。
そう考えると「女やもめに花が咲く?」というサブタイトルに
こめられた、脚本家の思いを感じるような気もするのです。
んでわ。
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2024年07月10日
不可能はない、とロックスターによく似たニコラ・テスラは言った「プレステージ」
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らすつるたやです。
本日7月10日は、ニコラ・テスラの誕生日なんだそうですね。
まあニコラ・テスラといえば、荒木飛呂彦原作の変人偏屈列伝か、
これから紹介する映画の中で、ワタクシ大好きデヴィッド・ボウイが
怪演しているところくらいしか思いつきませんが、
交流電気方式の考案者という意味では、現代人で彼の発明の恩恵に浴して
いない者はいない、と言っても過言ではありません。
そんなテスラ大先生がちょい役で出てくるのがコレ。
「プレステージ(2006)」
知らない人も多いかもしれませんが、監督はあの“ダークナイト三部作”の
クリストファー・ノーランで、知らない人のが多いかもしれませんが、
原作はクリストファー・プリーストの「奇術師」です。
★ざっくりしょうかい
舞台は19世紀末のロンドン。奇術師“プロフェッサー”ボーデンは、
ライバルである“偉大なるダントン”アンジャーの奇術のタネを探って
彼が出演している最中に舞台下に侵入する。
ところがボーデンの目の前で、アンジャーが水槽に落ちて溺死する。
アンジャー殺害の容疑で逮捕されるボーデン。
この水槽、実は二人にとって、因縁の水槽であった。
昔、アンジャーの助手でもあった妻が、奇術の失敗で溺死したのが、
この水槽で、それにボーデンが関係していたのである。
一方、アンジャーの復讐により、ボーデンも奇術師にとって
命ともいえる指を失うことになる。
それから何年にもわたって憎しみ合う二人の関係は、
アンジャー自らがその命を使って決着したように思えたが…
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あれ?肝心の(?)ニコラ・テスラが出てこないな。
まあ、胡散臭いデヴィッド・ボウイが見たかったら、本作か、
「眠れぬ夜のために(1985)」がオススメですので、是非どうぞ。
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■余談1
“プレステージ”とは、手品における段階の1つ
1.確認(プレッジ、pledge):観客に種も仕掛けも無いことを証明する
2.展開(ターン、turn):パフォーマンスを行う
3.偉業(プレステージ、Prestige):マジックショーを完成させる最終段階
■余談2
日本公開時には、
「全ての謎を解き明かす荒木飛呂彦さん書下ろしイラスト入りステッカー」
が、5万枚限定で配布された、だってさ。
くそう、もらえなかったんだぜい。(一応公開時に映画館で観ました)
んでわ。
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2024年04月03日
登場人物がなぜか“死の受容の5段階”について語る『All That Jazz』
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らしているはずなのに、
「ミュージカル、嫌いじゃないよ」、というと
意外な顔をされることが多い、つるたやです。
まあ、子どもの頃には、「オズの魔法使い」や「メリー・ポピンズ」、
「サウンド・オブ・ミュージック」をTVで観たくらいだったのですが、
長じて、“音楽”というものや、物語についての嗜好がはっきりしてから、
けっこう好きな作品がある、と気づきました。
で、特に好きな作品がコレです。
「All That Jazz(予告編)」
★いつものざっくりあらすじ:
主人公はブロードウェイの演出家、ジョー・ギデオン。
苦労して完成させた作品の評価は低くく、次回作の準備は遅々として進まない。
そんな中、自分を鼓舞するために、シャワーを浴び、目薬を差し、
なんかの錠剤を飲み、煙草を吸い、「イッツショータイム!」と鏡の中の自分に語り掛ける。
不健全かつ不規則な生活がたたり、ジョーは倒れ、入院する。
医師の警告に従わないジョーの病状は悪化し、やがて自らの回想と舞台の構想が入り混じった
夢とも現ともわからないステージがあらわれる。
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20歳前後にこの作品に出合った時、テンポのいい音楽や
幻想的なステージの構成演出以上に、ワタクシに刺さったのは、
作中で語られる“死の受容”についてでした。
登場人物が、なぜか、キューブラーロスの“死の受容の5段階”について語る、
というシーンがあって、主人公がその五段階のプロセスを踏みながら、
作品はフィナーレへと向かいます。
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★ざっくり死の受容の五段階
第1段階:否認と孤立
自らに死が迫っていることを否定する。
周囲から距離をおくようになる。
第2段階:怒り
死の可能性を否定しきれないと自覚したとき、
「なぜ自分が死ななければならないのか」と問い、怒りを感じる
第3段階:取引
死の現実を避けられないか「神や仏」と取引をする
第4段階:抑うつ
何をしても「死は避けられない」とわかり、
無力感が深刻となる。
気持ちが滅入り、抑うつ状態になる。
第5段階:受容
自分自身の現実、現状を、静かに見つめることのできる段階。
死を受容し、心にある平安が訪れる。
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個人差があり、必ずしもこの順番ではない、ということですが、
物語上は、この順番で主人公の気持ちが推移して行くように思います。
あれれ?
けっこう昔から、ワタクシ、“死の受容”、というものに興味があったのだな、
けっこう昔から、ワタクシ、“死の受容”、というものに興味があったのだな、
と気づいた話、になりましたなあ。
んでわ。
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2023年12月04日
あらゆるひとが悲嘆とともにあった戦後『ゴジラ-1.0』
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
以前も書きましたが、ワタクシ、近年は映画、そんなに観る方じゃないんですよ。
SF好きを公言してはいますが、いわゆる怪獣特撮は苦手と言ってもいいくらいです。
歳がアレなもので、わりと初期の特撮テレビ番組の洗礼は受けていますが、
なんかチープな特撮部分がけっこう苦手で、連帯してチャンネル権を主張する弟たちが
いなかったら、ほとんど見なかったんじゃないかって気がします。
劇場で観た怪獣特撮って多分「平成ガメラ三部作」「GODZILLA」「ゴジラ FINAL WARS」
「シン・ゴジラ」くらいですかね、ほとんど監督の名前で観てますねー。
そんなワタクシですが「シン・ゴジラ」の評価は高く、劇場で見たときに、
これはこのあとゴジラ撮れないんじゃ?って思ったくらいです。
でもまあよく考えると「シン・ゴジラ」はなんか別カテゴリって気がするので、
いったん忘れましょう。
本作で、佐々木蔵之介扮する機雷処理班長が「この国は変わらないなあ。
いや、変われないのか」とお国への心情を吐露するシーンがありますが、
まんまゴジラシリーズに対するワタクシの印象だったと言えるでしょう。
なので最初にゴメンナサイしておきます。
ホント面白かったです「ゴジラ-1.0」。
いや、面白いって噂も聞こえてきてはいたんですよ。
それでも食指が動かなったのは、NHKの朝ドラ見てたのも関係あるかもしれません。
よりによって、主人公とヒロインがまるかぶり、って、そんなんアリ?って思いますよね?
(実際はゴジラのキャスティングの方が先だったらしいです)
それでもワタクシが劇場に足を運んだのは、誰かが、
「ゴジラ-1.0のテーマはグリーフケアだ」とかなんとか、
書いているのをネットでみかけたからなのです。
以下、感想です。
始まって早々、特攻しないで基地に帰った神木隆之介が、
突如現れたゴジラにけちょんけちょんにされつつ、整備員青木崇高と確執、
復員したらしたで近所のおばさん安藤サクラにからまれて、
闇市行ったら子連れの浜辺美波に居候される、って朝ドラ主演級のキャストが
これでもかと主人公受難のコンボを決めてきます。
でも、なんじゃこりゃ、と思うそばから、彼らの演技に圧倒されていました。
役者さんってすごいなー、と素直に思いました。
そして、もう1つの懸念材料だった特撮も、とても良かったです。
ゴジラは徹底的にローアングルで映して、全体を見せすぎない。
で、ゴジラと同じだけ、向き合っているヒトにも尺を使う。
時代背景に合わせた街なんかの描写はさすがの「三丁目の夕日」監督だと思いました。
物語としては、スタンダードな怪獣映画のストーリー展開で、
まあ、怪獣現る、ひどい目に遭う、対抗手段練る、やっつける、です。
しかしそこに、戦禍を生き残り敗戦を迎えた人々のドラマがからむんで、
今までの怪獣特撮とは、だいぶ違ったテイストが出たのは間違いないと思います。
で、肝心のテーマ、です。
日本中の誰もがグリーフを抱えていた終戦直後、主人公はひときわ大きな悲嘆とともにありました。
それでもなんとかそこを飲み込んで生きようとしたところで、ゴジラによる被災という形で、
親しい者の死が再演されてしまいます。
自分が安穏と生きることは許されないのだと感じた主人公は、ゴジラという
~悲嘆をもたらすもの~、災害の象徴と向き合い、己が身命を賭して闘うことを決意します。
もちろん、それをグリーフケアの物語と読んでもよいと思うのですが、
映画の終盤で、重巡洋艦の乗員たち全員が、海に沈みゆくゴジラに敬礼する姿を見たときに、
彼らはどんな気持ちであろうかと、思わずにはいられませんでした。
わだつみ作戦の従事者は、全てを捨てるという決意も空しく敗戦を迎えてしまった
元軍人たちです。
彼ら全員が抱えていたであろうやりきれない思いを、抗えない運命の象徴である
ゴジラにぶつけることで、過去を振り切り、新しく前に踏み出す一歩とする。
そんな再生の物語でもあるように、ワタクシには感じられました。
というわけで、令和のゴジラには今までとは違う物語があるのかもしれません。
(当然あるでしょう)次回作以降も、ちょっと期待できるのかもしれないな、と思った次第です。
んでわ。
tsurutaya at 23:20|Permalink│Comments(0)
2023年11月29日
有神論vsアニミズム『ザ・クリエイター/創造者』からの妄言連想2
まいど。
人生の午後をおもしろおかしく暮らす、つるたやです。
ちょっと前に
『ザ・クリエイター/創造者』を観て、色んな過去(の作品)が
頭をよぎったーんだぜー
、ってお話と、
よぎったそのいち「人間とロボットがコンビを組んで行動する物語」をネタに妄言を
書きましたが、今回はよぎったそのに「宗教的なの?」をネタに書いちゃいます。
普段、SNSと飲み屋では宗教と政治のネタは自粛しているワタクシですが、
自身の信条を語るとか、そういうわけではないので、まあいいか、ってことで。
さて、実はこの作品、主要登場人物の名前からして、あからさまに宗教に
関係してそうなネーミングです。
まず主人公ジョシュアはイエスの英語読みだそうです。
そしてそのジョシュアは発見したAIの少女にアルファ・オメガの刻印が
あることから、アルフィーと名付けます。
「アルファでありオメガである」という言葉が新約聖書ヨハネの黙示録にありますが、
これは、神またはキリストの神性を意味します。
つまり、ニューアジアのニルマータ(ネパール語で創造者)が、神に等しい存在を作った、
とも取れます。
一方、アルフィーのコピー元(どうもこの世界のAIとは、人間をコピーして作るらしいです)の
母の名前はマヤ、これはブッダの母の名前とされている“摩耶”(諸説アリ)からでしょう。
この作品世界では、AIを敵視し排斥しようとするアメリカと、AIと共存するニューアジアという
わかりやすい対立を描いていますが、そのままキリスト教世界VSその他の世界、
という構図にもなっています。
AIにとっての救世主と思われるニューアジアのアルフィーは、キリスト教側からすると
キリストに偽装して人を惑わす者=反キリストそのものです。
そう考えると、アメリカ側がアルフィーを執拗に追う理由も腑に落ちる気がします。
しかしAIの開発した最新兵器だから潜んでそうな周辺全部焼き尽くす、とか、
幼いイエスを殺そうとしたヘロデ王でもそこまではしてないぞ。
まあ、そもそも人間を作っていいのは神だけである、というスタンスをとる宗教は、
ヒト型人工知能とは相性が悪いです。
対して、アジア諸国はアニミズム(すべてのものの中に霊魂もしくは霊が宿っているという考え方)
との親和性が高いです。日本なんて、そのへんにある器物でさえ100年経ったら動き出しますからねえ。
ましてやヒト型ロボットなんてそりゃすぐに友人になりますよねえ。
tsurutaya at 23:30|Permalink│Comments(0)